ちょっとビックリしました。このような門をくぐると小学校!地元も人は普通の光景かもしれませんが、観光客である私としては、全く異質な光景でした。この辺りの家には、昔からあると思われる立派な御門が結構あります。
(説明書からですが)奥平家で家老職を務めていた生田家の屋敷門です。表札には南部小学校と書かれていますので現役なのでしょうね。子供たちは日頃から文化財に触れることが出来、羨ましい限りです。勿論外からの見学ですが、お城の観光コースとして入れてみてください。
中津城近くにある、南部小学校の門になってます。もともとは、1700年前後建築の奥平中津藩家老、生田家の門です。生田家は1800石。小学校ももともとは、生田家の家老屋敷であったとのことです。
この「生田門」はもともと、奥平中津藩家老生田家の門であり、中津の藩政時代から現代まで、何度か修復を重ね、時代を生き抜いてきた貴重な建造物です。 明治時代の廃藩置県後「中津市学校」の校門としても利用されていました。その市学校が閉校になった後、いろいろと変遷を重ねた学校の、校門として存続しました。 明治43年(1910)南部小学校が開校し、その校門として利用され、児童に親しまれながら現在に至ってい...
今も小学校の正門?
ちょっとビックリしました。このような門をくぐると小学校!地元も人は普通の光景かもしれませんが、観光客である私としては、全く異質な光景でした。この辺りの家には、昔からあると思われる立派な御門が結構あります。
表札は中津市立南部小学校となっています。
(説明書からですが)奥平家で家老職を務めていた生田家の屋敷門です。表札には南部小学校と書かれていますので現役なのでしょうね。子供たちは日頃から文化財に触れることが出来、羨ましい限りです。勿論外からの見学ですが、お城の観光コースとして入れてみてください。
中津藩家老生田家の門
中津城近くにある、南部小学校の門になってます。もともとは、1700年前後建築の奥平中津藩家老、生田家の門です。生田家は1800石。小学校ももともとは、生田家の家老屋敷であったとのことです。
現在は南部小学校の校門として使われています
この「生田門」はもともと、奥平中津藩家老生田家の門であり、中津の藩政時代から現代まで、何度か修復を重ね、時代を生き抜いてきた貴重な建造物です。 明治時代の廃藩置県後「中津市学校」の校門としても利用されていました。その市学校が閉校になった後、いろいろと変遷を重ねた学校の、校門として存続しました。 明治43年(1910)南部小学校が開校し、その校門として利用され、児童に親しまれながら現在に至ってい...