会津若松市街から東へ向った山の中腹にあります。 1422年に傑堂禅師が創建した曹洞宗のお寺で、当時会津で勢力があった葦名氏の菩提寺でした。 新選組の近藤勇と土方歳三のお墓があるので有名なお寺で、お墓まで案内板があり迷うことはありませんが、坂をかなり上るので歩きやすい靴で行くことをお勧めします。
1447年、蘆名盛信が南英謙宗のために開いたと言われる曹洞宗の寺院です。かつて会津曹洞宗の僧録司として末寺33寺、12の寺院をかぞえる大寺院でしたが、伊達氏の侵攻で焼失しました。裏手の墓地に新撰組局長の近藤勇の墓があります。土方歳三が遺髪などを持っていて会津戦の折、ここに埋葬したそうです。
会津武家屋敷を観光した後、東山温泉庄助の宿に行く途中にあるので行って見ましたが、山道で道が狭く天寧寺からも当分上にありました。訪問した時間も遅かったからなのか、私達だけで静寂の中の観光となり暗くなりつつあったので、直ぐに帰りました。
近藤さんのお墓の前の切株に注目!専門家に聞くと、135年の年輪。伐採後10年ですから145年前に植えられた。没後5年。近藤さんを見守っていたのですね。頭髪も見つかったとか?お墓の清掃をしている方に感謝!
新選組局長である近藤勇のお墓があることで知られているお寺です。飯盛山や鶴ヶ城に比べると訪れる人も少なくひっそりとしていました。
近藤勇のお墓があります
会津若松市街から東へ向った山の中腹にあります。 1422年に傑堂禅師が創建した曹洞宗のお寺で、当時会津で勢力があった葦名氏の菩提寺でした。 新選組の近藤勇と土方歳三のお墓があるので有名なお寺で、お墓まで案内板があり迷うことはありませんが、坂をかなり上るので歩きやすい靴で行くことをお勧めします。
新撰組ゆかりの寺院
1447年、蘆名盛信が南英謙宗のために開いたと言われる曹洞宗の寺院です。かつて会津曹洞宗の僧録司として末寺33寺、12の寺院をかぞえる大寺院でしたが、伊達氏の侵攻で焼失しました。裏手の墓地に新撰組局長の近藤勇の墓があります。土方歳三が遺髪などを持っていて会津戦の折、ここに埋葬したそうです。
近藤勇の墓がある
会津武家屋敷を観光した後、東山温泉庄助の宿に行く途中にあるので行って見ましたが、山道で道が狭く天寧寺からも当分上にありました。訪問した時間も遅かったからなのか、私達だけで静寂の中の観光となり暗くなりつつあったので、直ぐに帰りました。
意外なものを
近藤さんのお墓の前の切株に注目!専門家に聞くと、135年の年輪。伐採後10年ですから145年前に植えられた。没後5年。近藤さんを見守っていたのですね。頭髪も見つかったとか?お墓の清掃をしている方に感謝!
近藤勇のお墓。
新選組局長である近藤勇のお墓があることで知られているお寺です。飯盛山や鶴ヶ城に比べると訪れる人も少なくひっそりとしていました。